3/7 HANA-BI
今日も眠気まなこを擦りながら朝5時に起床して律儀に働いていたら、上司から突然に午後の半休を言い渡された。
るんるん気分で職場を後にし、颯爽と帰宅。
そして、急遽できた時間を使って、日本で一番好きな映画の北野武監督作品『HANA-BI』を久々に見返すことにした。
タケシ演じる刑事の西さんが当時追っていた犯人にバディーを目の前で殺され、理性がぶっ飛んじゃって犯人をオーバーキル射殺してしまう。
そして刑事をやめて、病に伏してもう後先の長くない奥さんと共に最後の旅に出る。
奥さんの治療代で生まれてしまった借金の取り立てに追われながら…
そんな静かな映画。
タケシも奥さんも劇中ほとんど喋らず、静かな空気と久石譲のBGMだけが響き渡る、本当に静かな映画。
何度見ても良すぎるなあ。
以下ネタバレ感想
やはり北野武監督作品の多くには無機質と死が非常に色濃く出ている。
劇中の細かいやり取りの中に人間の根っこにある暴力性、非情性を生々しく表出してしまっていて、土台からもう無機質な世界観が作り込まれている。
そして、キタノブルー…画面いっぱいに広がる青さが世界観と重なる。
限りない青って、白よりも真っ白。
そして、映画の題名がHANABIではなく、HANA-BIと分けられてるところにも注目したい。
まずそのまま花火の様な命の儚さもこの映画では表現されてる。 しかし、それだけではない。
花。この映画では生きている花と死んでいる花の対比が非常に多い。
奥さんが枯れた花を瓶に入れ、水をあげているところに「死んだ花に水あげても意味ねえだろ!」というガヤが飛んでくるシーンがとても印象深い。
あのシーンで、明確に死んだ花が奥さんのメタファーとしてこの映画に存在していることを決定づけた。
その点を踏まえて見返すと、お寺で画面の半分に赤い元気な花、もう半分に奥さんを映すシーンも生死を対比している様に見えてくる。
最後のシーンは生死の対比が特に色濃い。
幼い女の子が元気に凧を持って走り回っているのを眺めているタケシと奥さん。
画面で比較させることによってより一層タケシと奥さんにねっとりまとわりついている死が輪郭をはっきりさせてきて、これから起こることを嫌でも暗示してしまう。
花は生死の対比表現としてこの映画でとても重要な意味を持って存在しているのがわかる。
そして火は、無機質な暴力性かなと自分は感じた。
燃え移ると情けなんてあるわけなく、全てが燃え尽きるまで消えることのない火。
人間の根っこにある暴力性そのものではないか。
よって、命の儚さとして花火、生死のメタファーとして花、人間の根っこにある暴力性として火。この三点がこの映画の主軸かなと感じた。
この映画中、最後まで一言も発しなかった奥さんが最後のシーンで「ありがとう、ごめんね」とだけ話すシーンは本当に鳥肌が立った。
言葉が重すぎる。
ありがとうとごめんね、正直なところとてもありふれた言葉なのだが、あえて劇中に何も喋らせないことによってどんな言葉よりも重みを持たせる、本当に上手い演出だった。
そして広がるキタノブルー、凧揚げをして走り回る少女、鳴り響く二発の銃声。美しすぎる。
後輩刑事がタケシたちを見ながら言った「俺にはあんな生き方できないなあ」と言う言葉に完全に同意する。
あんな生き方できないからこそこの映画は美しく、惹かれてしまうんだろう。
これからの人生でこの映画を超える邦画に出会える気がしない。